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二胡Life prducer 麓郁代

大人になって
本気の趣味を始める

二胡Life Producer麓郁代

47才から

​一緒に、二胡Life作りましょう!

趣味があると人生が幸せになるって知っていますか?
喜びの増える方向へ、素直に進んでみる
そんな毎日を暮らしたら
​幸せでいっぱいになると思うのです。

News!

​二胡の悩みメールでご相談に乗ります!(無料) 

こんなこと悩んでいませんか?

◻︎二胡を習ってみたいが、どうすればいいかわからない

​◻︎練習環境はどうしたらいい?

◻︎どんなレッスンスタイルが自分に向いているのだろう

◻︎音楽経験のない自分に二胡が弾けるようになるのだろうか

◻︎何か思うように上達しない
◻︎何ができて、何ができていないかもよく分からなくなっている
◻︎どんな練習をすればいいかわからない

◻︎他の先生のレッスンを受けてみたいけど、今習っている先生に遠慮がある

 

どうぞご連絡ください。お問い合わせより!​

 

二胡体験レッスンも随時受付しております。60分/2200円(プライベート)

Nico & Pianoコンサート  祈りへの旅
2025年3月8日(土) 午後3:00開演
お陰様で​満席となりました

弘法寺の館内には沢山の仏画が展示され、まるで美術館のようです。弘法寺管長のお母様 小田輝子さんが描かれた作品です。滋賀県彦根に住まわれ琵琶湖のほとりの美しい仏様を多く描いています。小田輝子さんの描く仏画にはどこか体温を感じ、まるで血が通っているかのように見えます。琵琶湖の周りは観音の里と言われるほど多くの観音様がいらっしゃいます。仏さまにも歴史の中の様々な物語があり、そんなエピソードを交えながら二胡とピアノの音楽をお楽しみください。

ゲストに現役ツアーコンダクターの飯田史子さんをお迎えし、仏画と音楽の旅をナビゲートいたします。仏画をめぐる旅をしながら、二胡とピアノのコンサートを楽しむ♪ そんな時間と空間をお届けします。  

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 1部:二胡で奏でる音楽の旅
 2部:祈りへの旅〜仏画に捧げる音楽〜
 3部:夢

​会場:弘法寺 地下1階空海ホール 

         東京都港区三田2丁目12−5 弘法寺

料金:3,500円

​申込:下記URLよりお申し込みください。自動返信にて詳細をお送りします。

https://pro.form-mailer.jp/fms/1dee79e8325025

なるほどthe nikoわーるど
二胡という中国の伝統楽器。シルクロードを旅して伝わった楽器。
私たちから見た二胡音楽の世界を紹介していくnoteブログを始めました。
二胡はやはり中国の楽器ですから、中国語の方が圧倒的に情報が多いんです。
中国語が堪能なセバスチヤンの才能をお借りしてザッピングの記事や、
フモジェンヌ目線の曲へのアプローチなど、
少しマニアックに紹介しています。

私のレッスンスタイル

音楽を通しての夢を一緒に設定すること。そして練習を身につけるレッスンをする事。

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夢を持つ
​〜喜びの増える方向へ進んでみる〜

何でもいい「夢」を持ってみる。好きな大きさでいい

二胡でこの曲を弾きたい! ライブをする! 自分だけのCDを作る!​ 大切な人のために演奏を贈る。

どんなことでもいい。夢に大きい小さいはないので。

着地点を「決めて」みるのです。

もし思いつかなければ、一緒に考えましょう。

着地点を決めて、途中で変更してもOK!そこに到達したらやめても良いんです。

どこに辿り着きたいのか?を決めると音楽のハードルが楽々と越えられます。それを決めたら、「今」を楽しむのみ!

NLPマスタープラクティショナーの勉強をした、私に出来るサポート方法があります。

毎日の練習を作るLesson
〜ウォーキングするように
​    呼吸をするかのように〜

練習を生活スタイルに取り込む!

一人で練習を重ねると、上手に自己流に磨きがかかっていきます。癖が付くと修正するのに時間がかかるので、一つ一つ意味のある練習にするために、一緒に練習をレッスンします。

オンラインレッスンも取りれながら、練習を日々の生活の中に取り込めるようアドバイスしたり、時には背中を押したり励ましたりしながら、一緒に進んでいきましょう

       

『自分の人生に音楽の作品を残す』

 

音=Soul

これからの自分の人生に「音楽の作品を残したい!」そんなことを思っている方と出逢えたら嬉しい。

音は見えないからこそ、形にならない思いを乗せられるものだと思うのです。

作品というのは、何も大それたものではなく、ご家族だけの音楽会でもいい。

もちろんCDを作ってもいい。憧れのお店でLiveをする、Youtubeなどへアップするのも自分の作品になる。

そこへ、向かっていく時間というのは、昔部活をやっていたような感覚や、夢を追いかけるような青春であり。

ずっとずっと楽器をやってみたかったのに、諦めていた方って沢山いるんじゃないかな。

 

今からじゃ上手になれないし、

才能ないし

上手な人たくさんいるし

練習する時間作れないし

手につけられない理由は五万とあるのだけど

「本当はやりたいんだけどな〜 なんなら、上手になって誰かに聞いてもらいたい!」

という、心の声があちらこちらから聞こえてくるのですけど。

やりましょうよ!音楽!

『趣味に本気になる』

 

趣味に本気になっている大人って、すごくかっこいいと思うのです。

今まで沢山の経験をして、辛いことも、苦い思いも、もちろん嬉しいことも、遊んだことも、

全てが自分の中にたっくさん詰まっていて、それを自分の味として表現する自分を想像してみて欲しいのです。

そんな自分自身を表現できる大人はかっこいいと思うのです。 

私は、歌や台詞のように言葉にしたりするのは少し恥ずかしい思いがありました。

だから、楽器というのはとても魅力的に目に映ったのかもしれません。

そして、二胡は歌うのがとても上手な楽器だと思うのです。歌詞はないけど、歌詞が聞こえてくるような、歌を歌ってるような楽器。

ただ、やはり歌うようになるには練習が必要なのも確か。

それを手に入れるために、部活のように何か情熱を持って没頭する。

それが、たかが「趣味」に注げる大人って、めちゃくちゃかっこいいと思うのです。

時間もお金も、自分でコントロールできるようになった今。

何かに没頭していいんだって、ある日はっと気づく。気づくの遅いわけじゃない。

そのタイミングが「今」なの。本気になるタイミングは今なんだってこと。

そして、「やる!」と決めること。

やるか、やらないか、やってみるはない。そのくらい本気にならないと残りの人生がきっと退屈。

かっこいい大人!・・・かっこいい おじいちゃん! おばあちゃん!かな。

『大人になって伸びる才能』

 

才能がある?ない? 私は「才能は創るもの」と定義づけしています。

子供の頃は周りの環境で、やりたくない事を親に無理やりやらされた、

反対にやりたいことをさせてもらえなかったという事もあったでしょう。

ふと大人になって「あれ?誰も私の行動をコントロールする人っていない?」という事に気付いたのは

私も40才半ばすぎてからでした。もっと早く気付こうよ〜と自分に突っ込みましたが。

ここまで生きてきて、すぐに手に入ってしまう物はあっただろうか?

本当に欲しいものを手に入れた時の喜びや、できない事が出来るようになったこの上ない達成感やら、

思い返してみればいくつもあるはず。

実際、できないと思っていたのは、自分だけだったというこもあります。

私たちが伸び盛りとした子供時代は、もう半世紀近くも前のことだったりするわけで、

その頃とは環境も情報も自分自身の進化度も違っていて、今始めるからこそ断然味わいが変わることに気づきます。

もうこの年齢だから無理よ、という声も聞きます。

「老い」とは、何かができなくなることではなく、

沢山の経験をしてきたために、脳が慣れて感動できなくなっている事

が「老い」です。

だからこそ、全く新たなチャレンジが面白いのです。

「学習」というのは、生まれ持った能力を上手く使えるようにするものではなく、新たな能力を生み出す手段です。

 

潜在能力という水瓶は、生まれつき容量が決まっているのではなく、

私たちが何をするかによって、形が変わり容量を増やしていけるものだということ。

大人になったからこそ、伸びる才能、開く感性があるのです。

『二胡を奏でるというMeditation(瞑想)』

 

自分の楽器を手にする時の、緊張感というか、高揚感というか。

これは楽器を初めてする人にとっては手にしてみないと想像できないかもしれません。

4才の時にピアノが家にやってきた日の事を鮮明に覚えています。嬉しいというよりもドキドキする。

何がそうさせるか分からないけど、胸が勝手にドキドキするのです。

二胡を手にした時もそうでした。子供のころバイオリンを習いたいと言って、母に「ダメ」の一言で子供心が砕け散りました。

今、自分の意思で弦楽器を手にできた事は「やっと会えたのね」なんて生き別れになった姉に出会えたような気分になったものです。

二胡を持つフォルムというのは、とても自然体で美しいと思います。

思い通りの音が出るようになってくると、その音が体を駆け巡るような感覚です。

二胡の構造が2本の弦の間に弓が挟まっていますから、弦から弓が離れることがありません。

左手は常に楽器を持っていますから、自分→左手→楽器→弓→右手⇨自分というように、

自分と楽器が一つのサークルになって繋がる感じで、弦の振動が指から直接体に伝わってきます。

音が体を駆け巡っていくような感覚になるのです。

体の外ではなく、体の中で音を感じる楽器だなと思うのです。

音が私をリフレッシュさせてくれて、一つの瞑想に近い状態かもしれません。

瞑想にも練習が必要なんですね。どこに意識を向けるのかとか、体の状態とか、

無になるどころか良からぬ妄想がパレードし出すこともありますから(笑

もちろん練習の先に、どちらも素晴らしくクリエイティブな時間を産むことは間違いありません。

麓郁代 二胡

 

『上達への近道を歩く』

 

楽器を習得するのに、魔法のように手に入れる方法は残念ながら無いようです。

練習を重ねることが一番の近道!です。

その近道を通ったことがある人にガイドとして一緒に歩いてもらうのが一番の近道です。

できないと言う悩みを知っていて、その解決方法を知っていて、一緒に歩いてくれるガイド。

買ってでも苦労をしろと言うのは、若いうちの話です。

努力は無駄にならない・・といいますが、無駄な努力はあります。

大人になって始めたからこその悩みがあります。時間は有り余るほど無いことに気づき始めた頃でもあります。

でも、やるならある程度ものにしたいという欲もあります。

上達への「近道」はあリます。

では、どこまでの上達を目指すのか?

私が目指すのはプロの演奏家ではありません

​しかしながら・・

素晴らしい演奏家になれるのは、音楽の才能や環境に恵まれた人だけと言う考え方が気に入らない。

人生を主体的に選び、才能を自分で作り出し、今の自分が限界だという考えを持たない!

そんな選択をどこまでもしていきたい。

私が目指したいのは、「自分の音で、自分の奏でたい音楽を奏でられるようになる。」

そして、何かしらの自分の足跡を残したい。

イブでもいい、CDを作るでもいい、youtubeにアップするでも、家族を前に演奏会を開くでもいい。

大人になっての習い事は、遠回りをしている場合ではないので。

近道とはどこを通る道のことを言うのか。

それは、意味のある努力をする道を通ることです。

1. 毎日練習すること。ただし、集中できる時間だけを使う。

2. 二つの目標を設計する。大きな夢と小さなステップ。

3. 目的ある練習に、フィードバックがある事。

4. ほんの少しでいいから負荷をかけた練習をする事。

5. 憧れのモデルを真似する事。

これを導くコーチをつける事。これが一番の上達への近道です。

二胡は私に、「心の豊かさ 学び続けること 成し遂げる勇気」を与えてくれます。
大人になって、こんなにも熱中できるものに出会えたことが嬉しくてしょうがない。
先生の音を求めて求めて、弾き続けてきました。
もちろん継続中です。同じところをぐるぐると、堂々巡りをしているような気持ちになる時もあります。
ですが、ふと景色が遠くまで見えるようになっていることに気づきます。
登っているのは、螺旋階段なのだな。気がつけば、風を感じるようになり、
美しい海や山、四季の移り変わり、沢山の景色が見れるようになってきました。

前進し続ける限り、見える景色はどんどん広がっていきます。
大人から始める楽器は、格別です!英才教育を受けていなくても、絶対音感など持っていなくても、音楽を楽しむことはできます。
大人になって、こんな素敵な気持ちになれるなんて、想像もしていませんでした。
楽器に触れる・・音を出す・・曲を弾く・・とても豊かな時間です。
楽器など、生きるためだけなら、必要のないことかもしれません。
ですが、私の命をどう生きるのか!と求めた時、二胡が私の生活を色鮮やかにしてくれるのです。
嬉しさ、幸せ、楽しさ、自分への愛おしさ、感謝でいっぱいになる。
「アートの力」だと思います。絵画でも、歌でも、ダンスでも、お芝居でも、造形でも、お料理でも、スポーツでも
自分を表現するアート」です。
自分を思いっきり表現するというのは「自分の命を生き生きと輝かせる」唯一の方法なのではないかと思うのです。
私は、たまたま二胡だっただけです。
だから、命を輝かせる事を、二胡で伝えていきたい。
​Niko Life Producerとして、求めている方の応援ができるようになることが、私の伝えたい事です。

二胡はたった2本の弦しかない中国の民族楽器。​東洋のバイオリンとも言われますが、その音色はバイオリンとはまた違う余韻があります。他の弦楽器と一番の違いは、指板がないこと。弦が宙に浮いているのです。​それが他の弦楽器と違う、音のゆらぎというか、浮遊感というか。心の琴線に触れる音色だと思います。女性の声に似ているとも言われ、出せる音域は2オクターブ半ほど。

二胡は竿が長く、楽器を左ももの上にたてて持ちます。弓は馬の毛と竹でできていて、軽くてよくしなるようにできています。縦軸と横軸というシルエット。弓は2本の弦の間に挟まっていて、かつて騎馬民族達が馬の上で楽器を奏でるのに、弓を落とさなくていいようにと、弦の間に挟んだと聞いています。
​二胡を奏でる姿というは、とても美しく優雅だと私は感じます。
二胡の音色は、なぜこんなにも人の心に入ってくるのだろうと不思議に思います。弦を抑える左手、楽器、弓、弓を持つ右手、一つの循環の中で音が流れていきます。音が体の中を流れていくような感覚です。奏者はこの音の流れに身を置き、自分の中から音が出ていくのを感じています。聞いてくださる人の体の中にも、音が染み込んでいくのかなと思っています。

そして、どこか切なさを感じる音だったりもします。二胡の音色を聞いて
涙される方が多くいます。人は哀しさを心の奥深くにしまっていて、時にそれが疼き出すことがあるのではないかな。二胡の音は、その心の疼きをそっと音に乗せて運び出してくれるような、そんな力がある楽器なのだと思います。

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