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プロフィール 〜私の二胡物語〜

私の二胡物語

私の二胡物語

Wei Wei's Cafe Live

Wei Wei's Cafe Live

品川プリンスホテルにて

品川プリンスホテルにて

楽器の仲間たち

楽器の仲間たち

中野ライブハウスにて

中野ライブハウスにて

American Clubにて

American Clubにて

池袋Sunny Spot Live

池袋Sunny Spot Live

Wei Wei's Cafe Liveにて

Wei Wei's Cafe Liveにて

American Clubにて

American Clubにて

海辺のひととき

海辺のひととき

池袋Sunny Spot Live

池袋Sunny Spot Live

地元の音楽バーにて

地元の音楽バーにて

『二胡を始めるきっかけ』
2003~2014年までツアコンをしていました。広島へツアーへ出かけた時のこと。満潮時には厳島神社の鳥居の下を船でくぐる事ができます。夜ライトアップされた鳥居の下を船が通るとき、エンジンが切られ船は惰性で進んでいき、静けさが広がる。
その時、私の中に二胡の音が流れてきました。
それまで、二胡の音は一度だけ聞いたことがありましたが、触ったことも、弦楽器を弾いたこともない私でしたが、
この時に「二胡」をやろうと思ってしまったのでした。
実際始めたのは、それから3年程経った後になりましたが。



『始めて半年で、100人の前で弾いてしまった!という事件』
タイミングというか・・弾くと決めてしまったのですよ、ある会の余興みたいなものですが。
竹内まりやさんの「いのちの歌」
はい!ポジションチェンジもあります。二胡始めて半年で弾けるようになる曲ではありません。今ならわかりますが・・・(笑
それから、教室を探したんです。
その教室の先生に、「これを弾けるようになりたいんです。半年で!」ひどい無茶振りです。
でもね、その時に先生は「弾きましょう!」といともあっさり仰ってくださったの。
そのおかげで、本番を迎えました。
しかしながら、まともに弾けるはずはありません。伴奏もなく二胡のソロですから。
やって見ないとわからないの?と自分でも思いましたが
惨憺たるものです。その時の悔しさは人生No1。それから、私の二胡人生が加速していきます。
悔しさは私のハイオク燃料なのです。本当によく燃えます。
このままでは・・終われん!


『初めてのライブ・・』
子供の時に一度母に「バイオリンを習いたい!」と言った事がありました。
その時理由もなく「そんなものはダメ」と言われたんですね。子供の頃から弦楽器の憧れがどこかにあったのだと思います。
大人の習い事で始めた二胡。当時はツアコンでもあったので毎日の練習ができるわけもなく、レッスンに行く前の駆け込み練習ばかり。レッスンはとても楽しかったけど、何となく弾いている日々だった。

どうしたら上手になるのだろう・・
どうしたら楽器が上手になりますか?と周りのミュージシャン達によく質問していました。
「音楽に真摯になることです。」
「人前で恥をかくことかな〜。」
「人の前で、演奏することです」
「恋をすることです__」
色々なアドバイスを聞いて、一つ決めたんです。
ライブをしよう! 人前で弾くチャレンジをしようと!

場所を借り、一緒に作り上げてくれる友人達に協力してもらい、人を集め、有料で行った初二胡Live。今思えばよくやったものだ・・と我ながら感心します。でもこの日が今の自分を作り続けているのは間違いなく、応援してくださったお客様、家族、友人みんなにご恩返しの音を出すために今も続いているのだと思います。


『ウェイウェイ・ウー先生との出会い』
ライブでも行きたいな〜と何となく検索していると、六本木ビルボードライブで二胡のライブがあるのを知りました。ビルボードで二胡のライブをする方がいるんだと〜、と興味をもち予約した。初めて聞いたウェイウェイ・ウーさんのライブは、今までの私の二胡のイメージを全く新しいものにしたばかりか、ライブ中ずっと感動の涙が止まらなかった。

「この音が出せるようになりたい!」と強く思ったのです。

帰りの電車の中で検索すると、お教室を主宰されており、そのままメールを送りました。
「ぜひ見学にいらしてください。」
そこから、ウェイウェイ先生の元で二胡を学ぶことになりました。
ウェイウェイ先生が目の前にいることに、そしてあの音を目の前で聞けることに感動の日々でした。
ウェイウェイ先生の元で二胡を習って2年が経とうとした頃、講師を目指してみませんか?というお誘いを受けました。


『二胡に本気になる・・』
​それまでは、お稽古事でした。このお誘いを頂いた時に自分の中で「やりたい!」という思いが溢れ出してきて止まらなかったんです。ただ、その時の私は人に教えるというレベルには程遠かったんです。
自分の中に湧き上がる情熱を抑えることはもうできなくなっていました。仕事を辞め二胡の練習に没頭しました。家庭内二胡留学!と宣言していましたから、夫は目の前にいる私は二胡留学中の人だと・・練習に集中させてくれました。
もう、ただ二胡を弾くことを止められない。あの先生の音が出せるようになりたい!それだけでした。

心弦二胡教室で講師をさせて頂けたことは、自分の成長もさることながら、教える生徒さんが、みなさん真剣に二胡を愛していることに、とても大きな勇気を頂いていました。
生徒さんの思いに応えるためにも、私自身の夢を叶えるためにも沢山の努力をしたと思います。この努力は二胡を弾く事をやめるときまで続くのだと思います。
​そして、大きな機会を与えてくださったウェイウェイ先生には心から感謝しています。
この感謝が無くなることはありません。


二胡は私に、「心の豊かさ 学び続けること 成し遂げる勇気」を与えてくれます。
先生の音を求めて求めて、弾き続けてきました。もちろん継続中です。
同じところをぐるぐると、堂々巡りをしているような気持ちになる時もあります。
ですが、ふと景色が遠くまで見えるようになっていることに気づきます。
登っているのは、螺旋階段なのです。気がつけば、風を感じるようになり、美しい海や山、四季の移り変わり、沢山の景色が見れるようになってきました。
前進し続ける限り、見える景色はどんどん広がっていきます。

大人から始める楽器は、格別です!
英才教育を受けていなくても、絶対音感など持っていなくても、音楽は楽しめます。
大人になって、こんな素敵な気持ちになれるなんて、想像もしていませんでした。
楽器に触れる・・
音を出す・・
曲を弾く・・
とても豊かな時間です。

楽器など、生きるためだけなら、必要のないことかもしれません。
私の命をどう生きるのか!
と求めた時、二胡が私の魂を輝かせてくれるのです。
嬉しさ、幸せ、楽しさ、自分への愛おしさ、感謝でいっぱいになる

「アートの力」だと思います。
絵画でも、歌でも、ダンスでも、お芝居でも、造形でも、お料理でも、スポーツでも
自分を表現するアートだと思います。
自分を思いっきり表現するというのは「自分の命を生き生きと輝かせる」唯一の方法なのではないかと思うのです。

私は、たまたま二胡だっただけです。
だから、命を輝かせる事を、二胡で伝えていきたい。

​Niko Life Producerとして、求めている方の応援を全力でしていこうと決めました。

 

IMG_0201.JPG

二胡奏者 麓 郁代 (ふもと いくよ)

1969年2月 千葉県生まれ

2012年/  5月 EYS music schoolへ通い始める

2015年/11月 ウェイウェイ・ウー主宰 心弦二胡教室へ

2018年/  4月 心弦二胡教室 二胡講師へ

2020年/10月 心弦二胡教室を退職

2021年    独立

クラブツーリズムロイヤルグランドステージ四季の華のツアーにて、旅行の中に二胡のコンサートを組み込んだツアーへ2021年2022年に出演。2022年東中野驢馬駱駝にてシルクロードをテーマにコンサート開催。2023年ホテル椿山荘東京「TOKYO MOON〜雲と月〜」中秋節特別演出にて二胡演奏。赤坂の白読で「コーチングトークライブと二胡とピアノのコンサート」開催。第26回万里の長城杯 国際音楽コンクール 民族楽器部門一般の部で第三位入賞。その他多岐に渡りライブ出演。

私が二胡に本気になったのは、2017年講師になろうと決めた時からです。

大人の音楽に経歴など必要ないと思っています。

最も役に立つのは

楽しむ心と、自分の成長を喜べる心

そして、最も優れた才能は

「​続ける」こと。

​私の素材
二胡 甘い物 強さ ピアノ 心友の愛 家族 努力 Art 舞台の芝居 おしゃべり 山の景色 色彩 美味しいお茶 着物 決断力 NLP 探究心 美しい言葉 本気 人のユニークさ 欲しいものは我慢しない 工夫 青 酔芙蓉 ブナの木 鳥 ビデオ屋さんの匂い 小鹿田焼 前進力 負けず嫌い Cafeのテラス 旅行 日本画 濃いCoffee 行動力 勘 妄想力 明るさ 天ぷら のはら歌 谷川俊太郎 B型 水瓶座 チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲 観察力 風 新緑 屋久島 引きこもり好き 地元のバー 佐藤さとる 生徒諸君 はいからさんが通る 限りなき前進を 上高地 本心 ヒョンビン様 雨の日    
 

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