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「恋文」という音楽会

  • 執筆者の写真: 郁代 麓
    郁代 麓
  • 12月1日
  • 読了時間: 5分

更新日:12月2日

11/30 日曜の昼下がり 「恋文」という音楽会が終演いたしました。

気持ちが温かいうちに残しておきたいと思います。

Love songで綴る二胡とピアノコンサート「恋文」
Love songで綴る二胡とピアノコンサート「恋文」

恋文というのは、私の義理の両親が若い頃交わしあった手紙たちのこと。

100通はあると思います。

今回は、その手紙たちを題材に、love songを二胡とピアノで添えていくという音楽会でした。


二胡を歌うように弾きたい。どんなに難しい中国曲を勉強しようが、最終的にはに辿り着きたい。という思いはずっとあります。


その時の心情や情景に合いそうな曲を選び、私なりに2人の物語をまとめていきます。


ただのコンサートではなく、その場に一緒にいるかのような一体感のようなものを作り出したい。そのためには「物語」を大切にしたい。


作り上げるには、時間がかかるのだけど、それはそれはかけがえのない時間になります。

来て下さったお客様に

「短編映画を見ているようだった」

「身近な人たちの人生が小説のように思えてきた」

「清楚なピアノに乗った二胡はさながら時代を遡って物語を見せてくれたようでした」

「久しぶりに、妻以外の恋物語を聞かせてもらったよ♪」

そんな感想をいただきとても嬉しいです。

一緒にいて下さったのだな〜って。


そう、物語は特別なものではなく、人の存在そのものが物語なんですよね。


この日は、両親の物語を中心に、人々に愛されたlove songたちを二胡とピアノで奏でました。本当は全てオリジナルを作りたい。そういう時がきっとやってくると思います。


お越しいただいたお客様が、笑顔でお帰りになられ、やってよかったなと✨




昭和20年代の手紙たち
昭和20年代の手紙たち

恋文、日記や詩を書いたノート、便箋、三越の包装紙だったり、芝居のパンフレット、学生時代の制服のボタン。

そんな思い出の品々が、このレトロなスーツケースに詰め込まれ70年以上の時を経て開かれたわけです。

まるでタイムカプセル。


これらがあるのはわかっていましたが、この思い出たちをどうしたらいいものか、ずっと考えていて、そうだ音楽としての作品にしようと。

昨年から意を決して、手紙たちやノートのほとんどを読みました。

旧字や崩した文字、難しい言い回し、読むのに結構手こずりました。




戦後間もない昭和23年、母17才 父20才。

とても美しい美男美女です。

父は20才の時、海軍兵学校で終戦を迎えます。その後、一高、東京大学と進みます。

一高生の時に、17才の母の英語の家庭教師として2人は出会ったようです。


昭和23年の写真
昭和23年の写真

2人が出会った時のシーン、目撃したわけではありませんが・・

誰しもが想像できるのではないかしら。

おそらく、2人とも一目惚れではないかと思います。


人は、出会うべくして出会うのですから。




父の中学生時代は台湾にて過ごします。そして海軍兵学校へ行き終戦を迎えたわけですから、それまでの青春は軍国である日本、戦争の真っ只中にいたのでしょう。


そして、東京大学へ進学。故郷は宮崎なので、夏休みには帰省をします。

そんな逢えない間に手紙のやり取りが始まるのです。

手紙は、ほぼ毎日書いています。

消印がちゃんと毎日ありますから。

この時代の東京ー宮崎間の郵便は3~5間かかったそうですが、毎日ちゃんと届くんです。日曜日の分は一緒に配達されたようですが。


この手紙たち。まさに「恋文」です。

両親たちの恋文
両親たちの恋文

父は、哲学と詩が好きで

自身の気持ちを詩にして書いていました。

気持ちの波は時には大きく、時には穏やかに、文章や文字に表れます。


「勉学と恋」に明け暮れる毎日です。

哲学癖のある父は、全てにおいて物事の本質を暴こうとします。

面白いほどにしちめんどくさい(笑


父にとって文章化するのは、自身の意識を探るため。


「子供であっていい筈はない。大人であっていい筈もない。つまり現在であっていい筈はない。しかし全ては差異の意識だ。してみれば差異のないことは美であるか。全ての差異の解消・・しかしこれは低下である。美であることは征服であってはならぬが。他はない自らの成長こそ美であろう。しかし、美の故に差異の解消は恐れてはならぬ。自らの主張と差異の解消の一致。ともあれ僕は逸子を愛せればそれでいい


大体こんな調子で、読めば読むほど、解るような解らないような(笑。

それでも父の文章をたくさん読んでいくうちに色々繋がっていく。

「何が」「どんな事象が」父に問いを与えたのかが想像できるようになってくるもので。


つまりは・・母を理解しようと必死なのである。

父の世界ではおおよそ出くわさなかった思考や振る舞いが、母から溢れ出していたに違いない。

恋という物は、今まで見ていなかった物、感じていなかった物が、目に耳に体に飛び込んできて、情報処理が大変なのであろう。

そして、情報処理を仕切らずに・・そして仕舞いにはあの手の台詞で片付ける模様(笑。


昭和20年代青年の心の記録
昭和20年代青年の心の記録

この理科の記録には、そんなこんながたくさん書き留められている。


「僕は逸子を愛せればいい。心のみで足りる人間はこの世であなた1人である。僕はあなたの心に全世界を見出す」


「私をこうにできるのは逸子だけだ。私の世界はあなたであるが、その高さは地上的な世界の空ではない」


父の哲学癖と愛はどこまでも続きます。


「常識的になれば苦しくはない、それが一番楽だ。だが僕には辛い」




こんなそんな手紙や日記からの言葉を借りながら、2人の恋物語をお話しして演奏するというスタイル。




二胡とピアノが奏でる音楽には歌詞がありません。

なので、私が曲から感じ取ったテーマを皆さんにお伝えしてみました。

そのテーマを手がかりに、曲を聴きながらご自身の物語をたどって頂けたらいいなと思い。


「ささやかな幸せ」

「一瞬の儚さ」

「思い出の面影」

「魂の叫び」

「ときめき」


といったように。




こんな感じで、時間はあっという間に流れ。

私自身にとっても幸せな時間になりました。


終わってから、ピアニストの茉莉恵さんがこの企画またやりたいねって言ってくださり♪

また嬉し♡


最後まで読んでくださりありがとうございます。

また、物語を紡いでいきたいと思います!


昭和のカップル
昭和のカップル



 
 
 

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