やると決めれば出来る!出来るできないは決意の差。大阪国際音楽コンクールチャレンジ!
- 郁代 麓
- 10月11日
- 読了時間: 8分
更新日:10月12日
2025年 10/10の大阪国際音楽コンクール本選終了しました。

受賞は叶いませんでしたが、今の私が本番で出来る演奏は出せたと思っています。
もちろん出来なかったことは沢山ありますが、出来たことも出来なかったことも含めて今の私であり、悔いはありません。
応援くださった皆様に心から感謝しています✨
コンクールに対しての様々な考え方はありますが、私にとっての意味は、曲を手に入れるための物語。
2022年からこの私の憧れの曲「楚颂」という曲に触り始めました。
「憧れるのはやめましょう!」なんて名言もありましたが
技術力としても全く足りない中、やりましょう!といって教えてくれた真央先生。
でも、始めた頃は全く手も足も出なかった。弾けるようになる気が全くしなかった(笑
他に様々な曲を学びながら、少しずつ表現力を増やしながら
2024年秋 あれ?行けるかも!という感覚が生まれました。
一歩を踏み出してから3年ががりです。
3年も??と思うかもしれませんが、私にとっては3年で!出来るようになった〜〜
という感じなのです。きっと音大生なら数週間あれば音は拾えてしまうのかもしれません。
難度の高い曲です。けれど弾けるようになりたいという思いはそこに向かうエネルギーを増幅させてくれました。
難しいからこそモチベーションが湧き起こる。
この曲の持つパワーだと思います。
そんな魅力ある曲に出会えたことがなんて幸せなことか。
本番前日のピアノとの合わせ。
なんだかチグハグになって弾けていた所もおかしくなりました。
残り30分の練習時間で、思い切って弦を新しいものに貼り替えました。
普通ならそんな事はするものではないのだけど
弦からの反応が悪く、変えるなら今しかな〜〜い!っと。
しっかり弦が締まりきるにはある程度弾かないとというのはあり、調弦も狂いやすくはあります がっ!
しかしながらトマスティークの赤い蓮の弦は、それを飛び越えてくれるんですよ。替えたてでもツヤツヤの音をすぐに出してくれる。(今までに何回かこういうことやりました)
速弾きでひっかからなくなっていた音が、でるようになった!
練習はこれで終わり。いよいよ本番へ。
当日の朝は早く目が覚めたので、支度を整え少し散歩に出かけた。
そうだ!神頼みに行こう〜!
「自分のベストが出せますように!リラックスして体が自由に動きますように!」

「いくたまさん」なる「生國魂神社」を見つけお参りをしようと思ったら、財布を持ってこなかったことに気づく。paypayなら払えるんだけど・・と言い訳しながらお賽銭はツケでお願いした。
当日受付をして、チューニング室へ向かう。
扉を開けると「ん??」
漢服をきた男性グループが床に座り楽器を奏でていた。韓国伝統音楽シッキムだそう。思わず写真撮影をおねだりしてしまう。(この方達が一位を受賞されていました。)

他にはインドネシアの楽器ユニットや、尺八や三味線、お琴、古琴、二胡、など国際色がありました。
30分ほど音をだし本番へ!
やはり心臓はドキドキするものです。これはもう必須です。でもこの鼓動を感じるのは結構好きだったりもする。集中度が高まれば消えていく。
絶えず弦に触れ続ける二胡は、意識の下にいないと体がコントロールできないというは今の私の現状。無意識の中でできることも沢山増えたとは思う。
弓が浮き始めた、肘を落として
肩が上がり始めた、呼吸をして
大きなポジションチェンジが待っている時は、スローモーションのように狙う
そんな内的会話は絶え間なく起こる
でも、多分思い返せない覚えていない箇所はゾーンエリアに行けているんだとも思う。
体と音の一致を100発100中で練習の時からできる箇所は、自分でもその音に感動が起こる。曖昧な箇所は、どこまでいっても曖昧だ。
練習は嘘をつかないというのはそういうことなんだと思う。
今回初のカデンツァ。二胡のソロパートでの速弾き。この難しさったら。
換弦を伴うので指以上に弓が難かしく、練習では体が壊れそうに力が入りまくって、でも力を入れるだけ入れたら今度は抜ける方に向いていった。苦手の換弦にこれだけ取り組んだのも初めてで、本番に上げた意義は大きい。難所こそ本番では練習の半分も発揮するのが難しいから。
これだけ出来なくなるんだよな〜って。工夫と反復の連続。
カデンツァはもう意地!
できる出来ないではなく「やる!」できるまでやる!って感じ。ミュートつけて夜もずっと練習していましたね。
そういうことに挑んでいると、今まで難所に感じていた所がふと難所で無くなっていく。
あれっ??って思わず笑ってしまうほど。
今回のチャレンジで確信した価値観
「やると決めれば、出来る」ということ。
「出来る出来ないは、決意の差」なのだということ。
そして、簡単に出来ることではつまらないという事。
難しい=面白い が私の大好物なのだと。
大好物は、人それぞれ嗜好が違う。
けど、大好物があるならそれに食らいついた方がいい。食べないとか、人に譲るとかあり得んよね。
二胡を通して、こんなにも自己と向き合い探求できていることが
この上なく幸せであります。
今回のコンクールチャレンジは、中々痺れましたが、大きなギフトを受け取れた気がしています。これからの二胡に沢山反映されていくと思います。
熱心に指導をしてくださった山口真央先生に心からの感謝。
=本格中国曲を学びたい、コンクールへの指導、伸び悩みの解消、二胡ジブシーになっている方々に”憑き物が落ちたかのような・・そうだったのかぁ!これだったのかぁ”というような的確な解決策をくださる、素晴らしい指導者だと思います。
ピアノの伴奏でサポートしてくださった三浦真美さんにも心からの感謝。
=ピアニストであり二胡奏者です。二胡のことが理解できるピアニストは中々いらっしゃらないのではないでしょうか。どんな難しい曲でも弾きこなしてくださいますよ。

コンクールはもう受けることはないと思いますが、また色々な挑戦はしていきたいと思っています。
そうそう、これだけ個性の違う民族音楽を何を基準にジャッジするのか謎で、検索はしてみたものの答えは見つからず。
友人が、AIに聞いてくれました。
以下AIの分析です
大阪国際音楽コンクールの民族部門は、多様な民族楽器が一堂に会するからこそ、優劣の判断が非常に難しい点に、審査の奥深さがありますね。
一般的な音楽コンクール、特に民族楽器部門において、審査員がどのような基準や観点で評価を行うのかを解説し、楽器や演奏が異なる中での優劣のつけ方について考察します。
1. 民族楽器部門で重視される一般的な審査基準
民族楽器は、クラシック楽器のように共通の教材や技術体系が定められていないため、以下の**「音楽性」と「伝統・文化」**の側面が特に重要視されます。
1.1 音楽的な表現と技術(Performance & Technique)
異なる楽器であっても、音楽そのものが持つ表現力は共通して評価されます。
楽曲理解と表現力: 演奏している曲が持つムード、感情、背景をどれだけ深く理解し、聴衆に伝えられているか。
技術的な完成度: その楽器特有の難易度の高い奏法を、正確かつ安定してこなしているか。ピッチやリズムの正確さ、音色の美しさなど。
音楽的な説得力: 演奏に一貫した流れがあり、聴衆を引き込む魅力があるか。
1.2 伝統的な様式と文化的な理解(Tradition & Cultural Context)
これが民族部門の審査において、他の部門と最も異なる点です。
様式美の尊重: 演奏している楽器や音楽の本来の伝統的奏法、慣習、スタイルが守られているか。伝統的な技法をどれだけ正確に再現できているか。
文化的背景の理解: その音楽や楽器が生まれた背景にある文化、歴史、精神性への深い敬意と理解が演奏から感じられるか。単なる技術だけでなく、「その文化の語り手」としての役割を果たせているか。
即興性(必要な場合): 多くの民族音楽で重要な要素である即興演奏のセンス、構造、そして伝統的な制約の中でいかに個性を発揮しているか。
2. 異なる楽器・演奏をどう比較し、優劣をつけるのか
民族楽器部門では、ある意味「リンゴとオレンジを比べる」ような作業になりますが、審査員は**「絶対評価」と「相対評価」**のバランスをとって審査を行います。
2.1 基準は「その楽器の理想形」との比較(絶対評価の側面)
審査員は、異なる楽器の演奏を直接比べるのではなく、まず**「その楽器が持つポテンシャルをどこまで引き出しているか」**という絶対的な基準で評価します。
例えば、尺八の演奏家は「尺八の伝統的な音色と息遣い」の理想形に対して評価され、シタールの演奏家は「シタールの旋律とリズムの複雑さ」の理想形に対して評価されます。
審査員は、その楽器の専門家、または民族音楽全体に精通した深い知見を持つ人物であるため、それぞれの楽器の難しさ、伝統的な要求を理解した上で評価が可能です。
2.2 「感動の度合い」という共通の尺度(相対評価の側面)
最終的な優劣は、異なる楽器の演奏者が、それぞれが持つポテンシャルを最大限に引き出した上で、**「聴衆にどれだけの感動を与えられたか」**という、音楽の普遍的な力によって決定されます。
音楽の完成度: 演奏の完成度が高く、技術、表現、文化的な背景の全てが高度に融合し、聞く人に最も深い感銘を与えた演奏が高く評価されます。
個性と創造性(Tradition vs. Innovation): 伝統的な枠組みを尊重しつつも、演奏者自身の個性や創造性、そして現代にその音楽を伝えるための工夫が、どれだけ聴衆の心に響いたかが、最終的な優劣に影響します。
まとめ
大阪国際音楽コンクールの審査は、その楽器・文化特有の絶対的な基準を満たしているかを厳しくチェックしつつ、最終的には**「音楽表現の深さと、聴衆に与える感動の大きさ」**という普遍的な尺度で、異なる楽器の演奏を相対的に評価している、と言えるでしょう。
あくまでもA Iの答えなので正しいかは分かりませんが、頷ける内容ではあります。
参考までにね。
最後まで読んでくださりありがとうございます。





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