ぬるぬるNIPPON
- 郁代 麓
- 2022年11月10日
- 読了時間: 4分
ぬるぬるぬNIOPPOINぬるぬるぬ(回文っぽくなった?)
音楽の話題ではないのだが、2年前の振り返り。
2年前 2020年のfb記事が毎日にのように上がってくる。
長女がカナダで、頭の血管の手術を行ったため、私もカナダへ渡航し10月〜12月の2ヶ月ちょっと滞在していたから。
あの時の記事を見ると、色々な思いになる。
人生の経験としては、とても貴重なものだったと、今なら思える。
退院する日に、最後の道のりになると思って撮った動画。
借りていたアパートから、地下鉄にのり病院へ向かう道。
今日で最後であることを願いながら歩いたっけ。
一番の難関は、病院に入るためのゲートだった。
ここで色々聞かれる。
音声割れまくりのマイクを通してるから、さらに聞こえず中から人が出てくるという・・意味のない感染対策の時もあった。紙を渡してくれ、と何度も思った。
移民の国であるカナダは、もはや英語かなんだかわらない、聞き取り不可能なことも多かった。最後まで、ほとんど聞き取れなかったけど。
それでも2ヶ月いれば、毎度の病院での会話は、なんとなく検討がつくようになった。
英語もろくすっぽ話せないおばさんの一人渡航は、これまでの人生の中で一番の試練であったことは、間違いないっ。
フレンドリーなはずのカナダ人たちも、コロナ禍にあって、街の中で話しかけてくれるような状態ではなく、道さえも尋ねることができなかった。道を通り過ぎるときにお互いを大きく迂回するような・・。
飲食店はテイクアウトのみだから、外食も全くできなかった。
後半は、あちらこちらで再発するブレイクアウトのため、再び街はロクダウンとなった。
あの時は、世界が混乱状態にあった。
成田空港は人影もまばらで、ゴーストタウンのようだったけ。
飛行機に搭乗していたのも、数える程。クルーも全身ビニールの防護服を着て、会話はとんどなかった。
私は、毎日病院に通うことだけ。
歩いたり、バスに乗ったり、地下鉄に乗ったり、自転車を使ったり
碁盤の目のように区画された街並みは、いく通りもルートを作ることができた。
病院への道のりで、トロントの街を味わった。

歩くのが一番安心だった。
地下鉄やバスにも少しずつ慣れていった。
秋から、あっという間に冬に季節が変わったな。
1630にはもう真っ暗だっから、ちょっと心細かったわ

そんなカナダも、2022/10月 全ての規制を撤廃した。
ワクチン接種証明がないと飛行機には乗れなかったが、それも無くなった。
ワクチンや、行動制限に対しての大きなデモがいくつも各地で起きていた。特に大規模なものは、今年2月に起きたトラック運転手たちのデモだ。
カナダは、ワクチンとワクチンパスポート義務化に向けた政策に動いていた。
カナダのトラック運転手らが、陸路でカナダへ入国する際にワクチンの接種と証明を必須条件とされたことに対しておこった大規模な反発デモだ。
カナダ各地から、何百台ものトラックがオタワに集結し、道を封鎖。
逮捕者も出た。
このデモの影響も大きかったであろう。
あれから半年、10月には、飛行機搭乗時のワクチン証明も撤廃。カナダではマスク、店の人数制限、隔離、ワクチン接種義務・証明、全て撤廃した。
結局、政策を取らずとも収束していくコロナに対し、今になってみれば、あの時に強気に押し進めようとしていた国の政策は意味がなかったとしか言いようがない。
声をあげる人たちがいなければ、義務化されていたのだろうか。
歴史は、過ぎ去った後にしか検証することができない。

日本の政策は、やるの?やらなくていいいの? ぬるぬるしている。
だから、何に反発していいのかもわからず、声をあげる人の行動も曖昧になる。
する人、しない人
特に主張があるわけでもなく、なんとなく・・習慣化されてしまった。
なんとなく、なのだ。
決まりではなく、お願いだから
撤廃するものもない。
なんとなく、ぬるぬるした国なのだ。
ぬるぬるしたものに、時間や気持ちをさくのも面倒なので、なんとなくぬるぬるマスクのつけ外しをし、なんとなくぬるぬる会話を合わせる。
意味などなくてもいいのだ。ぬるぬるとはそういうことだから。
もう、いい加減飽きてきたけど。
とりあえず、あれから2年経って、長女はピンピンとはいかなくても元気に過ごしている。

ちょっとグロテスクでごめんなさい。
でも、この跡が左右にあるわけです。
それを乗越えたた彼女は、強い。
一回目の手術では、合併症?失敗?
脳出血を起こし右半身麻痺と言語を失い、食事の飲み込みもできなくなった。
そこからのリハビリだ。
横で見ながら、人間の体の再生を日々刻々と見ていました。
体の修復作業は、驚くほどの急ピッチで進んでいくのが、よくわかった。
頭の分断された配線が、ちょっとづつだけど、急ピッチで繋がっていった。
奇跡の連続が、生命なのだと思う。
自分の体を信じてあげること。
体は、いつだって応援し続けてくれているのだから。
どんな病気でも、一所懸命戦ってくれるのだよね。
太刀打ちできないことがやってきた時は、それは私の人生の終わる時。
サボっている暇はないのだ。
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