オーケストラ奏者の個性は引っ込めないといけないのか?
- 郁代 麓
- 2023年11月19日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年3月19日
先日オーケストラの演奏会へ出かけた。
一緒に見にいった友人と帰りにいっぱいひっかけながら、色々感じたことを話していたのだが、友人が
「オーケストラ奏者の個性は引っ込めていないといけないのかしら・・?だってみんな揃って同じ演奏をしないといけないんでしょ?」
というようなことを感じたようだ。

確かに一つの作品にみんなで取り組むわけだ。
音程、音価、強弱、テンポ、譜面通りに表現することが、クラッシックは求められる。
私の中で???が沢山並んだ。
同じ音を出すことはできても、音色は千差万別で奏でる人それぞれではなかろうか。
同じバイオリンでもバイオリンそれぞれ個性がある。
人間というカテゴリーだって、誰一人同じ顔でも性格でもない、それぞれの個性がある。
楽器の個性とはなんだろうか?
楽器の個性は、「音色」ということになるのかな。
私は二胡という楽器に触れる日々を過ごしているが
二胡も何本か所有しているけど、どれひとつ同じ音色を出すものはない。
人間が皆でドレミを正確に歌うことはできる。けど声の個性はそれぞれなように。
同じ歌を正しく歌ったとしても、全く同じ歌にはならないわけだ。
楽器自体の個性に、奏でる奏者の個性がその音色をさらに豊にする。
音の厚み、深さ、響き。
音への寄り添い方もまた違うもので。
それにオーケストラは指揮者という役割がいる。
指揮者の解釈で作品が進んでいく。どんな波を作るのか?どんな呼吸を作るのか?
同じ指揮者でも、オーケストラが変わればまた音も変わるだろう。
何が違いを起こすのか?
技術的な要素も大きいけど、一番は「人」なのだろうと思う。
色々な人の音楽を聴いていつも思うことは、素敵な演奏者からは、
楽器からというよりもその人から音が響いてくる。
音量も響きも艶やかさも、何もかもが違うのだ。
そんな個性はもう引っ込めようがないのではないだろうか。
楽譜通り正しく弾くということはきっと訓練でできるだろう。
けど「音色という個性」は、訓練で引き出されるには限界があるようにも思う。
自分の音色を生み出した人は、引っ込めようなく表現されてしまうものなのではないかと思うのでありました。
そんな個性の集団が集まったオーケストレーションは、たまらんだろうなあ♪
「人が奏でるから、音色が生まれる。」
まあ、音色を生み出すにはそれなりの力も必要なわけでありまして。
その音を支える練習量がある。
それを磨く舞台がある。
そしてその舞台を引き寄せる運も然り。
誠実に楽器と音に向き合う。
全ての音に意味があり、無駄な音などひとつもない。
そして、自分が自分の一番のファンでありサポーターでありたい。
いつか自分の音色となって溢れ出す日が来る。
まあ素人目線でしょうが、そんなこんな感じたここ数日でありました。

見にいったオーケストラはこれ!
オーケストラピトレ座!
地元の音楽仲間が沢山出演している。
今までは何となく全体を聴いていたんだけど、今回ガンマイクのように、一人一人に意識を向けて聴いていたら、あれだけの音の中でもその人の楽器の音が聞こえてきてね。
個性バリバリやん!と思ったのですよ。
彼らからオーケストラの楽しみ方を沢山教わりました。
そして、YouTubeでオーケストラをサーフィンしてたら、また面白くて。
目玉が飛び出して来そうな人が沢山いたよ(笑
私の推し!ピアニスト藤田真央くんのラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番
ピアノも素晴らしいが、オーケストラの奏者全員がコンサートマスターなの?と言うくらい誰をみていても素敵だ。
真央くんのお顔を見ているだけで幸せになれまする♡
真央くんは24歳なんだけどね。中身はお爺さんが入っているみたい。
彼のエッセイを読んでいても音楽の取り組み方が尋常ではない。
才能とはそうやって磨かれていくものなのだと思った。
本当に音楽は素敵で愉快だ!
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