二胡コンクール!を受けるの巻
- 郁代 麓
- 2024年3月4日
- 読了時間: 4分
更新日:2月22日
2023年3月3日
受けてきましたよ。人生初めての二胡コンクール!なるものを。
民族楽器という部門で二胡を演奏してきました。

55歳になって、コンクールなんてものに参加するなんて思ってもみませんでした。
なんのためにチャレンジしたかと言うと
仕上げたい曲があったから。
こんなことでもないと、絶対仕上がらない曲だと思ってた。
二胡奏者なら弾ける曲でありたい!
そして、独奏でこの二胡の名曲を弾けるようになりたい!
「二泉映月」(にせんえいげつ)という名曲を。
表現するのが本当に難しい曲。技術的に内観的にも。
速弾きのような箇所は一つもない。
それだけに魅せるには無駄にできる音など一音もないわけで。
聞く人に伝わる演奏が出来るようになりたい。
それが、どう言うことなのか今回のチャレンジですごく勉強できました。
先生から教わった、手の動き、音の出し方、弓の使い方
すごく深い学びでした。
その動きで伝わる音が、どんな意味や感情を持って流れ出すのか。
発音できるようになると、聞き取れる耳も育つ。
悲しい気持ちで弾いても悲しい音にはならない。
その指や弓の使い方をするから、悲しさや虚しさが音に乗って流れ出てくる。
名だたる奏者が皆さん奏でる曲。
二胡奏者の数ほど「二泉映月」のYouTubeが出てくるんじゃないかと言うほど。
誰一人同じ弾き方はしていない。それぞれの「二泉映月」が奏でられている。
その方の解釈と個性が現れて聴き比べはとても面白い。
「二泉映月」を奏でるために作られた二泉胡という楽器があるほどだから、特別な曲。
正直、譜面には何も書いてない・・。伝承なんだな。やっぱり民族音楽なんだ。
人から人に伝えられて、その土地でその人の人生がのり、新たな表現が加えられていく。
日本では、日本人が奏でる「二泉映月」になる。
面白いもので、譜面には指使いと弓使いをつけた奏者の名前が記される。
だから、スタンダードがわからない・・。
曲は同じなのだけど、指や弓の使い方で表現は大きく変わる。
多くの奏者の動画を見ても全く違う。装飾音ではないだろうくらいの装飾音。
本当に面白い。
西洋の音楽ではこう言うことは起きないのではないかな。
一応予選があって、そちらは音源審査になるのですが「葡萄熟了」を録音した。
これもなかなか痺れる作業でした・・。
中国曲を録音したのは初めてで、録音は録り直そうと思えばキリがない。
終えた時には魂が抜けましたね(笑。
コンクールの本戦では、その「二泉映月」を独奏してきたわけですが・・
いや〜本番で力を出し切るって、なんて難しいことなのだろうとつくづく感じました。
仕事じゃないので、コンクールで失敗しても、誰にも迷惑はかからないのだから、余裕をもてたはずなのだけど、初めて弾く会場、初めての経験、初めてづくしに・・自分の身の置き所が定まらないというか、集中し続けることができない。
そんな状態で6分30秒は過ぎていきました。
大きな失敗はないけど、やってきたことの完成度は低い。
気持ちを乗せたいところ、間をたっぷり使いたかったところ
体は淡々・・と進んでしまって
自分のものにするには、あと何年もかかるのだろうな。
コンクールとは、出来栄えを競い合う催し。
これから、結果は書面で送られてくるのだそうだが、もう結果は私の中では出てる。
今回私にとってのコンクールは、誰かと競うのではなく、今までの自分との競争。
昨日の自分より少しでも前に進めること。
1ヶ月でここまで出来たことに自分を沢山褒めてあげたい。
こんなに一つの曲に打ち込めたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。
55才! ゴーゴー!まだまだ成長できる!
そんな自分を愛おしく思う。
この曲をもっともっと育てていこう。
そして、他にも弾きたい曲はあるのよ〜〜〜♪

コンクールが終わった帰り、一人打ち上げしようと思ったが・・
お天気の良い日曜日。街は人でいっぱい。お店もなんだか落ち着かない。。
ってなわけで、白ワインとおつまみ買い込んで家で打ち上げました。
夫がなんだかネットで買った砂時計のようなサンドアートのなんちゃらが机にあって
でも、見てるとなんだか癒されて。
お酒飲みながらずっと眺めていられました。
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