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中国文化大革命下のピアニスト

  • 執筆者の写真: 郁代 麓
    郁代 麓
  • 2024年9月6日
  • 読了時間: 6分

ある時、偶然にも中国文化大革命の真っ最中を生きた、中国人ピアニストのエッセイ本を見つけ読んだ。中国の音楽家が書籍として当時を告白しているものは少ない。



著者 シュ・シャオメイ 中国の文化大革命下での過酷な体験をした音楽家。
永遠のピアノ シュ・シャオメイ

シュ・シャオメイ(Zhu Xiao-Mei、朱曉玫)

「永遠のピアノ」













「二胡の曲を弾きながら」

二胡という中国の楽器で中国の曲を弾きながら、

この曲の作曲者はどんな世界を生き、何を考えて、この曲を作ったのだろうと考える。

中国曲は、中国の世界がぎっしり詰め込まれているから。


大きな大陸、

漢文のような思想感、

音の強弱の展開の大きさ、

はっきりした音の輪郭、

中国語のような揺らぎ、

その土地に自生する植物のように、自然とそんな音楽が生まれ出すのだろうか。


そんなことを考え、今活躍する中国人二胡奏者の動画を見ながら、ふと思った。

「この方々は文化大革命の中を生き抜いてきた方々なのだよな」と。


北京中央音楽学院 日本で言えば、東京芸術大学のような存在であろうか。

活躍する音楽家でこの学校出身者はとても多くいる。



「中国文化大革命に青春時代を奪われた音楽家 シュ・シャオメイ」

自伝を書いたシュ・シャオメイさんは、中央音楽学院在学中に文化大革命が起こり、勉学の中断を余儀なくされた。五年間、内モンゴルの再教育収容所での生活を強いられ、青春を奪われた1人だ。

3センチほどある本の半分はこの革命下の体験が収められている。


革命下の音楽学院で起こっていたことは、悲惨な歴史としか言いようがない。

学院の教師達は反革命分子として暴力によって追い詰められ、自ら命を落とした人達も多くもいる。

当時の自殺は、もはや反逆行為とみなされた。

学院のある部屋は死体の山積みになっていた場所もあったそうだ。

「我が国独自の文化を発展させなければならない」と、西洋の楽譜やレコードは燃やされた。

もはや、音楽も教育もない音楽院となった。

シャオメイさんは子供の頃からピアノを弾き、西洋音楽の教育を受けた。

その出生は、ブルジョワ資本主義であり、それらの思想再教育をしなければならないと、収容所で過酷な5年を過ごすことになる。


1966~1976 毛沢東の「文化大革命」という名のもと

直接的な言い方をすれば偉大な知識人や芸術家が殺され、貴重な文化財も破壊された。

その死者数40万人から2000万人以上と諸説ある。

なんの為にこんなことが行われたのか、、ということはテーマが深すぎるので取り扱わないが、「権力」というものに取り憑かれた化け物の仕業としか思えないものだ。


シャオメイさんの想像を絶するこの体験を読みながら、国や権力者に苦しめられる世の中というのはどれだけ繰り返されるのか、人間という生き物への不信感と同時に、

そんな中でも自身の魂の叫びから耳を逸らさず、音楽と共に生きたいという人間の尊厳を貫くシャオメイさんの生き方に、また人間という生き物への希望を見る。


毛沢東の死と共に文化大革命は終わった。

音楽院にも以前のような音楽と教育が取り戻され始めた。

シャオメイさんは失われた時を戻すべく、愛するピアノと共に芸術家としての人生を成功させるために、どんな犠牲も我慢も家族との再会を諦めることも覚悟して、未知の世界へ飛び込んでいく。


そしていくつもの苦難を超え、1980年自由の国アメリカへ旅立ったのだ。



「中国という国」

中国大陸の歴史というのは、お隣さんでもあるのに知らないことだらけ。

あまりの規模の違いに、島国日本に住む日本人の自分にとってすぐに理解できないことも多い。


文化は風土によって作られる。

海、山、砂漠、寒い、暑い、乾燥、多湿

育まれる動植物、人間も然りその土地に適した作りになるのだと思う。


中国の楽器である「二胡」という楽器を理解するのも簡単に進むものではないが、

自分の意識に引っかかった事を合図にように、調べることにしている。

そして、この本に出会った。


私が生まれたのは1969年。

もし中国に生まれ落ちていたのであれば、文革の真っ最中で、遠い昔の話ではないのである。

同い年でもある、私が二胡を師事したウェイウェイウー先生も文化大革命の最中に生まれ、

「お父様が手作りしたバイオリンで、家中のカーテンを閉めこっそり練習していたという」

その時のエピソードを紹介してくださっている。


この中国大陸という場所で起こることは、はるか昔三国志の歴史本を読んでもスケールがとにかく大きく、「民」という存在がとても小さく感じる。

秦の始皇帝の遺言で作られた兵馬俑を見たときに、なんて事を考えるのかと度肝を抜かれた。

何もかも桁が違うのだ。

国の大きさも、民の多さも、民族、風習、その大きさを統治しようする支配者の力や思想は、民に寄り添うものではない。これは世界共通なのかもしれない。



「世に現れる才能」

そんな境遇でも、世に現れる才能 とはどういう事なのだろう


シャオメイさんは、アメリカへ旅立って2年が過ぎるものの、生きるだけの日々

そして、フランスパリへ行きたい思いをとめられなくなる。

世界を豪遊するなどという美しい状況ではなく、お金も仕事も何もかもギリギリの状態。

それでも、パリへ旅立った。1984年。


一つ一つの出会いが、小さな流れが少しづつ大きな川へ流れこむように

シャオメイさんのピアノを世界を押し上げていった。

40歳を過ぎて、ようやくピアニストという地位を掴む。


フランスは、「芸術を受けいれる国」なのだ。


その後、ピアニストとしてのキャリアを花開かせ、世界各国で演奏、高い評価を得ている。

国際コンクルーなどの審査員も務める。


ドイツで開催されるバッハ音楽祭に招聘され、聖トーマス教会に眠るバッハのお墓の前で「ゴルトベルク変奏曲」を演奏している。自身にとっても奇跡だとおっしゃっている。





シャオメイさんのピアノをyoutubeできいた。

子供の頃バッハのピアノ練習曲を弾いた記憶はあるが、バッハの音楽に馴染みがなく、実は作品として初めて聞いた「ゴルトベルク変奏曲」。

彼女の人生が一音一音に描かれているのだろう。


これほどの苦悩の人生のなかで、

シャオメイさんがピアノへの情熱を持ち続けさせたものは、なんだったのだろう?

本を読み終えて、それを考える。


「理由も根拠もなく、湧き上がって抑えられないもの。」


自分にそんなものがあるだろうか?

いや、全ての人が持っていると思う。聞こえないふり、見ないふりをして閉じ込めてしまっていることが沢山あるのではないか。

その抑圧と戦わされているのが生きるということなのか。


自分の中で起こる「好き」という感情をたよりに、正直に自分の個性を生きる。

そんなことを考えた。

沢山の問いかけをこの本からいただいた。




「シャオメイさんの言葉」

本の中で、印象に残ってるシャオメイさんの言葉を紹介したい


「音楽において最も困難なのは、何かを表現することではなく、自分とは違う文化の人にその表現を理解してもらうこと」

「音楽の真実とは人間性である」

「音楽を伝える喜び」

「作品のそれぞれの一節、それぞれの音を好きになるまで弾く。自然な直感的な理解の段階に到達するまで」

「音楽は政治や宗教とは異なったやり方で、人々を結びつける。」




あくまでも、私の感じ方ですが、自分の頭の中を整理する意味でもこんな風にまとめました。長文読んでくださりありがとうございます。








 
 
 

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