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「才能=続ける 続ける=好き ∴才能=好き」♯1

  • 執筆者の写真: 郁代 麓
    郁代 麓
  • 2021年9月10日
  • 読了時間: 3分



A=B B=C ∴B=C 証明って好きだったな 「才能」と言う言葉を定義づけするなら、私は、今まで継続し続けている何かのことと定義する 今まで続けて来ているから、才能として自分や誰かの役に立ち、続けてきたそれは、決して楽しいことだけではないと思うのだけど、それでもやらずにいられない。 気づけば、明日も明後日も 1年 3年 10年後・・・・ なんで続くんだろうと考えれば、理由などわからず”好き” 才能=好き。 好きなものが思いつかない、と言う人もいるかもしれないのだけど 今この自分が存在している以上、自分を今まで続けて来ているんだから 自分の事は好きなのではないかな 感情が苦しい悲しい嫌だと思っても、感情は人の本質ではないのだし 体は、いつでも120%自分を応援してくれる存在で、感情といういっときの物に支配されることはない 砂糖と塩を間違えて「しょっぱい! あ〜〜しょっぱかった〜」と思う時くらいのものでいい。 私の体はありえないくらい、献身的に私に尽くしてくれる もう溺愛されているとさえ思える 怪我をすれば、全力でその傷を塞ごうとしてくれるし、病気になれば、熱出したり、吐かせたり、全力で悪いものを退治しようとしてくれる。 「私の体は、私のことが好きでたまらんのです。」 そんなに好いてくれてるのに、好きにならないわけがない。 好きに、なんで?を聞かれるのは困る 好きは好きで、理由や理屈がくっついてはいけないような気がする 好きだと思う物に、人に、手を伸ばしていくのは自然 手を伸ばしたそれが、スポーツや音楽だったとして、それは上手でも下手でも構わないことなのだけど 上手になると、好きや嬉しい、喜びが、たくさん増えていく その量は私にしかわからないんだけど、好きや嬉しいで満腹になることはなく、いくらでも入り続けるから、この手の感情の消化が結構早いのだと思う。 (恨みや妬みみたいな感情はきっと消化が悪いのだろう思われる) 二胡という楽器を手にして7年が過ぎる この楽器が、好きでたまらんのです。 この楽器に出会って気づいたことは、「私は努力ができる人」のようだってこと 私は、ただ中毒みたいにその音が好きすぎて手放せないだけで、 もっともっと美しい音が出したいだけで、ここまで来ているだけで そのたどって来た道を、「努力できる人」と周りは言ってくれる。 「練習も好き」 意味のある練習って思える練習だけだけど 初めてのことは、お手本を見せてもらって、手順を替えてみたり、新しい方法を考えてみたり、色々やり始める そう言う研究が好きみたいだ。 星ひゅうま矯正ギブスみたいのが、特に好きみたいだ❣️ でもね、こういうの考えるのと、その実験には結構大量の時間を費やす これからの時間がふんだんにある歳ではなくなって来たので、 そろそろ二胡の事、熱中してきた事、今までのまとめをして、人の役に立てるようになろうと思う。 もちろん、大好きと思える事で。




 
 
 

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