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祈りへの旅番外編 石道寺と渡岸寺

  • 執筆者の写真: 郁代 麓
    郁代 麓
  • 1月31日
  • 読了時間: 5分

更新日:4月30日

昨年の12/28に日帰りで湖北へ行きました。

本当は1月の旅の中で行く予定でしたが、1月の冬の期間は閉めてしまうお寺があり、どうしてもそこの仏様にあおいしたかった。



石道寺 十一面観音 滋賀県長浜市木之本町石道

石道寺 十一面観音
石道寺 十一面観音

平安末期の作と伝えられる本尊の十一面観音像は国指定の重要文化財です。

欅の一木造の唇には紅をひとすじ残しており、当時は極彩色の仏様であったことが窺われます。ゆるやかな姿態に流れるような衣をまとい、柔和で穏やかな印象を与えます。

また、井上靖の「星と祭」にも出てくる、子授けの観音様としても知られています。


お会いした日は、寒いさむい雪の舞う日でした。周りの山は真っ白で、冷え冷えとした空気。

そんなに大きくないお堂に入ると、中にいる係の方が扉を開けてくださいました。

係の方と言っても、町に住むボランティアの方々です。

暖房をつけないお堂の中は、それは寒く手足が悴むなかなかのしんどさです。

ですが、この湖北のお寺はみんなそのように町の人々のよってお堂が守られています。


扉を開けて頂いてそのお姿を見たときは胸がいっぱいになりました。

唇に赤い色が残っており、町の娘さんのような優しい観音様。

慈愛に満ちたそのお顔、どれだけ多くの方が手を合わせ祈りを捧げてきたことでしょう。

とても優しい表情で微笑みかけて頂いているような気持ちになりました。


井上靖「星と祭」で次のように述べている。

『この十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現われていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。笑いをふくんでいるように見える口もとから、しもぶくれのの頬のあたりへかけては、殊に美しい。ここでは頭に戴いている十一の仏面も、王冠といったいかめしいものではなく、まるで大きな花輪でも戴いているように見える。腕輪も、胸飾りも、ふんわりと纏っている天衣も、なんとよく映えていることか。それでいて観音さまとしての尊厳さはいささかも失っていない』

渡岸寺観音堂 国宝十一面観音 滋賀県長浜市高月町渡岸寺50 


奈良時代、檜材一木造り、像高194㎝、頭上のいくつかの仏面と左の手首先は共木で造られ、はめ込んである。

天平8年(736年)、平城京で疱瘡(ほうそう)が大流行し、死者が相次ぎました。その様子に心を痛めた聖武天皇が僧の泰澄(たいちょう)に命じ、祈りをこめて刻ませたのが、ここに安置されている十一面観世音菩薩立像だといわれています。


以来、病い除けの観音様として人々に信仰されてきました。全国の十一面観音像の中で最高峰と称えられる渡岸寺の観音像。

この像も織田信長の小谷城攻めで本堂が戦火に焼かれ、村人が地中に埋めて難を逃れた。大正末期に観音堂が再建されるまでは茅葺きの簡素なお堂に安置されてきました。



現在は観音堂として建てられた建物の中にいらっしゃいます。

なので、360度ぐるっと拝むことができます。

わずかに腰をひねるかのような姿に、仏身ながら官能的な量感を感じます。


初めて拝んだのはもう15年以上も前のことかと思います。その時あまりの美しさに呆然と涙が溢れてきたのを覚えています。


静寂の中にも、躍動感と強さを感じる観音様だと感じます。頭に乗る観音様達の表情もとてもはっきりしています。すらっと伸びたお体はもはやスーパーモデル。

仏像界の中でもこれだけスタイルのいい仏様にはそうお会いしたことはなく、美術的価値としても群を抜いた存在ではないかと思います。



この湖北という地は、戦場になった歴史からお堂が焼失しているものが多く、土に埋められたり、川に沈められたりと村の人々の手によって助けられ、守られてきました。幾多の戦乱をくぐり抜けてきたため、焼けただれたり手足をもがれたりした痛々しい観音像も少なくない。観音のひとつひとつがそうしたエピソードを秘めて静かに佇んでいる。

奈良や京都のきらびやかさとは全く異なり、里の中で、人の温もりの中で、今日まで守られてきています。


湖北に限らず、湖東、湖南、湖西、とても多くのお寺があります。

大きなお寺もあれば、ご住職夫妻で慎ましやかにお守りしているお寺もあります。

家の猫の額ほどの庭の手入れでさえ大変なものを、お寺という境内、ましてや厳しい冬の寒さの中、仏様をお守りするというのは容易なことではないとつくづく感じました。


滋賀県内のあまりの仏像の多さに驚きましたが、時間とお金がふんだんにあるのなら、この地にしばらく滞在して、全ての観音様を拝みに行きたいものです。



弘法寺の仏画、小田輝子さんの作品の仏像を訪ねる旅をすることになり、とても多くのお寺、神社を訪ねました。

この絵はどこの仏像か?というところから始まり、それがどこにあるのか?

名物・名所の見物をするわけではなく、探さないと出会えないような場所もありました。

しかしながら、こうしたテーマがある旅の面白さを大いに発見した今回の旅路であります。


小田輝子さんは画家というわけではないのです。趣味として長年カンバスに描き続けてきた。数学と図工の教師として中学校の教壇に立たれてきた方です。滋賀県内といえど、移動の時間はかなりのものです。海外の仏画も書かれていますから、教師という仕事をしながら作品に取り組む時間をどうやって生み出していたのか・・想像もできません。

全て本物を見て描いているそうです。昭和58年、退職の記念に仏画の個展を開いたそうです。


実際の仏像と見比べると、輝子さんの作品は血の通う人間のような温かさを感じるのです。

そして、近くの大切な誰かを思い浮かべながら、それぞれの作品に投入しているようにも感じます。


そもそも仏像が好きな自分は、こんなご縁に吸い寄せられ近江の国を旅できたことがとても嬉しく楽しく、貴重な時間となりました。


近江は祈りの国でした。


これらの体験が音楽の種になることを信じています。3/8のコンサートが楽しみです。


長い文章読んでくださりありがとうございます。


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