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祈りへの旅4日目 多賀大社、竹生島、金剛定寺、福林寺

  • 執筆者の写真: 郁代 麓
    郁代 麓
  • 1月31日
  • 読了時間: 6分

更新日:4月30日

米原東横インのホテルでは朝食がつきますが、おにぎりビュッフェなるもの。

おにぎり屋さんかと思った(笑)コーヒやらパンやらもありました。


多賀大社
多賀大社

ホテルを8時に出発。

今日も駅前でレンタカーを借ります。

向かうところは多賀大社


多賀大社も弘法寺と縁があり、昨年弘法寺の入り口に「根源神社」が造られました。この多賀大社の御霊をおわけ頂いたのだそうです。


多賀大社のご祭神は

伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)

伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)

で滋賀県第一の大社です。

日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。

生命(いのち)の親神様であります。


ここを外すわけにはいきませぬ。

そして、ここは個人的に理由がありご祈祷も受けてまいりました。

その後の竹生島へ行く船の時間があったので、長居はできませんでしたがミッションはクリア。


琵琶湖 竹生島
琵琶湖 竹生島

そして、竹生島の弁財天

滋賀を語るには、琵琶湖と観音様が必須。

琵琶湖に浮かぶ竹生島は、滋賀県のシンボルとも言えるでしょう。


真っ青に水をたたえる琵琶湖、県の60%を占めています。琵琶湖の水深の最も深いエリアに竹生島はあります。


竹生島にはご本堂に弁財天が祀られていて、宝厳寺には千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂があります。観音堂の御本尊・当山御本尊の弁天様は、60年に一度だけ御開扉される秘仏です(次回の御開扉は2037年)。

竹生島 弁財天
竹生島 弁財天

弘法寺にはないのですが、小田輝子さんの作品に竹生島弁財天があります。

姿形からして御本尊にある弁財天様ではないのです。

島を探して歩いていたら、どうやらこちらの弁財天様のようでした。

現在の弁天様は色の修復をした感じでしたから、その前の色は仏画にある色に近かったのかもしれません。


歩いていると小さな祠が。「美音神社」なるものがありましてね、そちらもお参りしてきましたよ。

今から振り返るとこの神社のご利益がとてもある気がします♪




竹生島 土器なげ
竹生島 土器なげ

竹生島には、寒さ覚悟で行きましたが思いのほか暖かく、方々をゆっくり見て回ることができました。

水面がきらきらに輝いていました。


最後にかわらけ投げをしました。土器のお皿を2枚。一枚は名前。もう一枚には願いを書きます。願いは、宝くじ一等当選!と書いてみました。

鳥居に向かって投げます。

鳥居の下にあるのは投げられたかわらけ。


参道に仏像ガチャがあり、飯田さんと帰りにやってみようねと言っていたのですが

色々な仏像様がある中で、阿修羅様がいました。白、茶、そして赤い阿修羅。

赤が一番の当たりで、レアもののようです!


なっなんと!

赤い阿修羅様きました。やった〜〜!!!



ガチャ 赤の阿修羅像
ガチャ 赤の阿修羅像

これは、一等が当たったも同然でしょう。

かわらけ投げた後の5分後くらいの出来事だったので、速攻でご利益に預かりました!

いや〜〜もってるわ私。

ここで使うかのかっ・・という感じですが(笑


阿修羅ファンクラブ会員としてはもっていたい一品です。


帰りの船ではこのガチャを組み立てながら記念撮影会。


港に近づくと、加藤登紀子さんの琵琶湖就航の歌が流れてきます。

郷愁溢れる美しいメロディ。



井筒屋弁当 湖北のおはなし
井筒屋弁当 湖北のおはなし

船から降りて、また車で移動。

この日、もう一つ果たしたいミッションがありました。

少し時間ロスにはなりますが、また米原駅へ。

井筒屋の駅弁「湖北のおはなし」というお弁当を食べたい!

井筒屋さんは、今年2025年3月でお弁当から撤退するそうです。米原駅を経由して北陸へ向かう経路がありました。しかし北陸新幹線が通り、米原を経由する人の足も減り、駅弁というミッションはもう必要とされなくなったと。


地元の食材を使い、一品一品手をかけて作られたとても美味しいお弁当で、添乗員時代に幾度もいただきました。それがなくなってしまうのは本当に寂しい。


予約しないとないと買えないということで、朝電話で予約し、お弁当を頂いてきました。

最後に食べれてよかった。



次の訪問地は、金剛定寺の聖観音様。 滋賀県蒲生郡日野町中山1940

湖南エリアへ。広くのどかな田園が広がります。滋賀県は琵琶湖しかないなんて思ってごめんなさい。

このあたりもお寺があちらこちらに点在しています。本当に多くてびっくり。

金剛定寺はナビがなければ辿り着けなかったと思います。

金剛定寺
金剛定寺

事前にお電話をしておかないと、当日お寺の方がいらっしゃらないこともあります。

お寺のことは、ご住職であるご主人と奥様でやりくりしているようでした。


日野町内で最も古く、聖徳太子が建立した48精舎の一つで、奈良時代にはすでに相当の勢力を持つお寺でした。


現在は、本堂である大悲閣と茅葺きの庫裏、鐘楼を残すお寺ですが、約400年前までは現在地を中心にして東谷西谷のすべての地内にぎっしりと堂塔伽藍(どうとうがらん)や僧坊が立ち並び、多くの学僧たちが、修行や勉学にいそしむ大法城を形成していました。



木造聖観音立像
木造聖観音立像

本堂には国の重要文化財に指定されている平安時代の木造聖観音立像・木造不動明王及二童子立像をはじめ、各時代にわたる仏像が安置されています。


こちらの聖観音立像です。

穏やかなとても親近感を覚える優しい表情の観音様でした。

写真は自由にとってくださいと言われましたので。

こうした仏様をお守りするのも、労力とお金が必要だと拝察します。

お堂の中はとても寒く、広い敷地で階段などもある中、ご年配のご夫婦でお守りするのは簡単なことではないなと感じます。


そして、彦根からもかなり距離のあるこのお寺の観音様を描かれた小田輝子さん。

なぜ、この観音様を選ばれたのかとても気になりました。写真など見てではなく全て現場に出向いて描かれたそうですから。



そして、最後の訪問地は

福林寺 滋賀県守山市木浜町2011

木造十一面観音立像(平安時代)[国重要文化財]


天台宗の開祖、最澄が延暦寺根本中堂の用材を甲賀の山に求めた際、途中の三上山(同県野洲市)の麓で得た霊木で彫ったと伝わる。寺は三上山麓にあったが、戦国時代の兵火で琵琶湖に近い現在地に移ったとされ、像の腰の後ろには今も焼け跡が残る。


井上靖は小説『星と祭』で「仏さまというより天平時代の貴人でも、そこに立っているような感じを受ける」と書いた。


こちらの観音様は個人で見れるのは、特別拝観期間のみです。

ですので見れないのはわかってはいたのですが、行くだけ行ってみようと。

時間も滑り込みな感じで、お参りだけさせ頂きました。

お前立ちの観音様がとても立派でした。

ご住職の奥様が、お寺のことなど色々はなして聞かせてくださりました。


こちらは先代のご住職が早くに亡くなられて今のご住職が10代の時に継いだそうです。当時のお寺は荒廃していてそれをお一人でここまで見事に復活させたのだそうです。


100年ぶりに修復をし、本堂に戻られています。

2025年11月頃にご開帳予定ということでした。

お会いしに行きたいな。。


こちらの絵は弘法寺にあります。私のお気に入りの仏画です。




米原駅に戻りお弁当を買い、新幹線で帰路へ。

四日間たくさんの仏様、神様にお参りしました。沢山過ぎましたが、身体中が満たされた感じです。この旅がこれからの音楽にどう溶け出してくるのかが楽しみです。

ご一緒いただいた飯田さんに心からの感謝を。


3日目


番外編





 
 
 

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