祈りへの旅3日目 天河大弁財天、栃尾観音堂、法隆寺
- 郁代 麓
- 1月31日
- 読了時間: 4分
更新日:2月4日
知る人ぞ知る「天河大弁財天社」へのお参り
宿に到着した時、お宿のご主人が天川の観光を地図を使って周辺のことを色々教えてくださいました。そのお話の中に、やはり不思議な体験が。
ネットの中でもそんなお話はちらほら出てくるようですが。怖いような興味深いような。
私たちは、何かが見えるタイプではないので、今回も普通にお参りさせていただきましたが、そんな私たちでも今までお参りしてきた神社とは全く違う空気感を感じました。

朝拝は、6人くらいの参加者でした。
今年が巳年で弁天様はゆかりがあるのでお参りも増えているようです。
宮司さんが祝詞をあげ、お祓いをしてくれます。
とても聴き心地が良く、分かりやすい祝詞でした。その後・・なんと般若心経と弘法大師のご真言も唱えられました。
前夜に、この天川はお大師様との縁が深いということをお宿の方がお話しされていました。
天川に篭って修行をし、天川から高野山までを行ったり来たりしていたのだそう。
縁があるからなのか、その日が21でお大師様の縁日だからなのかは聞きそびれましたが、まさに神仏混合の場でした。
そんな驚きから始まり、境内周辺を散策。
最後にもう一度拝殿へ。その時間は私1人だけで、しばらく大きな呼吸と共にお参りをさせていただきました。10分くらいいただろうか。神様と2人だけの豊な時間でした。弁財天様は音楽の神様でもあります。
宿に戻り、宿から10分くらいのところに円空仏があるとのこと。お宿のご主人が連絡をしてくれるとお堂の扉を開けてくれるということで、電話をしていただき宿を後にしました。
栃尾観音堂 円空仏(えんくうぶつ)

円空さんは江戸初期に岐阜で生まれ23歳で出家。
32歳の時に、木仏12万体の悲願を立てて北海道から関西までを諸国を遍歴し、64歳でお亡くなりになるまでに多種多様の仏像、神像を彫りました。それらの仏像を円空仏と読んでいます。深山幽谷に分け入り厳しい修行に身を置きました。
この観音堂には四体の円空仏が収められています。
訪れると、お堂を開けて案内してくださったのは、堂守をする瀬上さん。ご先祖様の言い伝えによると、円空さんは瀬上さんのお宅に泊まり、朝になると谷へ通いこの仏像を掘ったそうです。「これはうちのものなんだよ〜」とにこにこ優しくお話しして下さる瀬上さんはもう円空仏のようでした。

ここではびっくりするような奇跡が起きましたよ。。お話はできませんが♪
円空仏は微笑みを讃えている表情が特徴で、見ているだけで幸せになります。栃尾観音堂はとても良いお参りとなりました。
天川村を後にし、向かったのは法隆寺です。

法隆寺は広い!見るものもとても多い。
五重塔、金堂、大宝蔵院、夢殿、中宮寺。
こちらも人は少ないので、どこもゆっくり見れました。
法隆寺に来ると、年代がぐっと深くなる。
飛鳥、白鵬、平安時代のもの。
そして、国宝がズラ〜〜〜〜〜〜っと。
いやあ、胸が高鳴ります。
タイムスリップもいいとこです。
お会いしたかったのが
金堂の吉祥天立像(平安時代 国宝)左から3番目
この写真は法隆寺金堂の内陣です。金網越しにしか見ることはできません。


そして、大宝蔵院の梵天像。
奈良時代 塑像 重要文化財
大宝蔵院もお宝の連続・・。
こちらの梵天様のお隣に、帝釈天様がいて双子のような像です。
弘法寺の仏画にこの梵天様がいらっしゃるのですが、管長の幼少の頃のお顔に似ているそうです。
塑像なので、いつ壊れてもおかしくない作りです。こんなにもきれいな状態で残されているのは、もうありがたい限りです。
ゆっくり見ていたというか、途中で疲れて休憩していたので最後中宮寺がタイムアウト〜〜( ; ; )
色々見ながら、飯田さんと歴史の話をしていて、聖徳太子は歴史の教科書に出てくる人で、いるとかいないとか考えたことなかったけど、この法隆寺にいると、聖徳太子が見えてくるような気分になる。
いや〜〜面白すぎた。
けど、仏像あたりというか、ご利益当たりというか・・もう自分の体に収まりきらないほど堪能しましたです。。
飯田さんはこの時代がお好きで、歴史もよくご存知。そんなお話を聞きながら歩く法隆寺はロマンとミステリーの宝庫。教科書から世界が飛び出してきたような感じでもっと勉強したくなりました。
法隆寺を後に、奈良駅まで戻りレンタカーを返却。
近鉄奈良駅→京都駅(夕食)→(新幹線)→米原駅へ移動
ホテルの周りはな〜〜んもないので、京都駅で夕食を済ませ新幹線で米原へ。
今夜のお宿は米原駅前の東横イン(6500円朝食付き)。ここもシングル2ルームで気楽ステイ。
最終日は、滋賀を周ります。
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