祈りへの旅2日目 大神神社、聖林寺、阿倍野文殊院
- 郁代 麓
- 1月30日
- 読了時間: 4分
更新日:1月31日
2日目、3日目は奈良駅前でレンタカーを借ります。

まずは大神神社(おおみわじんじゃ)。
ここを訪れたのはこの後に行く聖林寺の観音様が、この大神神社にゆかりがあるからです。
聖林寺は国宝の十一面観音様で有名ですが、聖林寺に行く前はかつてこの大神神社にあった神宮寺の一つ大御輪寺にいらしたのです。
廃寺となった三輪の3つの神宮寺。大御輪寺、浄願寺、平等寺。
明治期に行われた廃仏毀釈で壊される危機にあった寺と観音様。
聖林寺の観音様、表向きには捨ててあった観音様を拾ってきたということにしたようですが、神宮寺からこの観音様を見ていただけるのは聖林寺しかないとお預けしたようです。
大神神社は山が御神体です。ですからお堂は拝殿となります。御神体の山に登拝することもできますが、往復で90分はいるでしょうか。当初は登拝する予定でいたのですが、予定を変更して、境内の中を隅から隅まで見てきました。
こちらの神社のある地域は、三輪そうめんで有名。どこで頂いても美味しいと思います。

聖林寺 国宝十一面観音
・天平時代 木心乾漆像
760年代に東大寺の造仏所で造られ、その願主は智努王(天武天皇の孫)とする説が有力です。
かつては四天王に守られ、前立観音の他、左右に多くの仏像が並び立ち、背面には薬師如来一万体が描かれた板絵がある荘厳の中にまつられてきました。
宝相華唐草の光背(奈良国立博物館に寄託中)は、長い年月により大破していますが、華やかで見事なものであったと想像されます。
均整のとれた仏身、豊満な顔立ち、量感のある上半身、優婉な纏衣(まとい)の美しさ、微妙な変化をみせる指先等、ミロのヴィーナスとも比較される仏像彫刻の優作です。

現在はこのように、厳重な扉の中ガラスに囲われてお立ちになっています。
訪問者は私たちしかおらず、しばらく御前で座り込み。ガラスの周りも一周でき、後ろ姿も拝見できます。
なんでしょう、美しく神々しく尊い、それ以外の言葉が出てきません。
仏様たちも、歴史の中で様々な物語があります、そんな背景を知ると、長い時を経てここに存在していることに有り難さが湧いてきます。
その後は阿倍野文殊院 善財童子
・鎌倉時代 快慶作

荘厳な群像です。この群像「渡海文殊群像」(とかいもんじゅぐんぞう)は雲海を渡り、私たち衆生の魔を取り払い、知恵を授けるための説法の旅に出かけているお姿だそうです。
本来であれば獅子の上に文殊様が乗っていらっしゃるのですが、お堂の工事をしておりこの期間は降りていらっしゃいました。この写真に写るすべての仏像が国宝です。
なんとも知的な表情の文殊様に見惚れながら、前の可愛らしい善財童子をたっぷり拝見。
「文殊菩薩に呼び止められ文殊菩薩を振り返りながら見ているお姿をされています。」
金粉が落ちたのであろう頬の色が愛らしさを倍増させています。衣の立体感、小さいお姿ですが、この立派な群像の中でも、思わず「あの子誰?」と呟きたくなる存在感。(笑
善財童子(ぜんざいどうじ)は、華厳経の「入法界品」に登場する求道者で、文殊菩薩の教えのもと53人の善知識を訪ね、教えを学びました。53人の善知識には、菩薩や修行僧だけでなく、女神や仙人、バラモン、船頭、医者、商人、子供、遊女なども含まれています。
最後の善知識である普賢菩薩から教えを受け、悟りの世界(法界)に入ります。
子供や遊女・・悟りの世界に入るのは様々な方向から学びを得ることが必要なのですね。
ちなみに日本三大文殊
・奈良 大和あべの文殊
・京都 天橋立切戸の文殊
・山形 奥州亀岡の文殊
そして、この後は明日香を抜けながら、天川村へ向かいます。
天河大弁財天社へお参りをするために、宿を天川村に取りました。
明日香あたりから、1時間ほど。奈良からだと2時間かな。結構な登り坂が続く山道です。

素泊まりの宿「well」
弁財天の敷地の中にあるお宿。
川のほとりにたつwellでは、一軒家で二間続きの広いお部屋をお借りしました。
奥にはお布団。手前には大きなコタツがありぬくぬく。
お布団にもあんかを入れてくださり、一月の外は厳しい寒さですが、暖かく過ごしました。
基本素泊まりなのですが、夜、奈良の名物の茶粥を出してくれて、すっごくスッキリ美味しかった。朝食も軽く出してくれます。ありがたや〜〜
なので夕食は、道中の道の駅やコンビニでちょこっと買い込み。
そして、天川温泉の施設が徒歩1分。アルカリ性の美肌の湯で最高でした。
ここのお湯は、人が変わってしまうほど!きれいになります✨
明日は、いよいよ天河大弁財天へのお参りです。朝拝が毎朝7:30からありそちらに参加します。
1日目の旅はこちら
3日目の旅はこちら
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