私の好きな人生ゲーム。。
- 郁代 麓
- 2022年12月7日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年3月19日
ライブの後、左手腱鞘炎になりましたです。はい!
プツぷつぷっ〜〜〜と動きが落ちまして・・その後痛みが。。
なので、しばらくは右手運弓練習・時々ブログ執筆に打ち込みたいと思います♪
よく自信満々に見える!と言われます。
自分に自信があるかと聞かれたら・・・全くありませんと答えます。

自分の事は好き。そして信頼もしてる。
けれど、私の中の自信というものとの定義が違う。
辞書で、自信とは・・自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心。
私が定義する自信とは・・自分にとってのパーフェクトから生まれる”気”のことなの。
”フォース”的な?笑
だから今はまだ、意図的に作れるものではなくて。
培ってきた、重ねてきたものから、発生していく気のようなものが、自信なのかな。
あくまでも、私にとっての感覚です。
たとえ100点とっても、身体と心が納得してなければ、きっとうなだれてるだろうし
NLPでお世話になった先生曰く
「自信は背中にくっついているものなので、自分からは見えないものなのよ。」
と仰っていたのを思い出します。
自分でも気づかないうちにくっついていて、背中を押してくれるものなのかな。
私の自信満タンのエビデンスはきっと、
ある日フォースが使えるようになった時だろうか(←結構真面目に信じてる 笑)

私が目指したいのは一番高い所に輝いている所に向かっていく事なんだ。
手に入るとか、入らないとかは、時の運。
大抵は、登れる山だと思う。登り続けれることが前提だけど。
時に、運がそこにないときがあるとも思う。
タイミングが整っていないとき。
人間の世界と、そうじゃない世界があるから、特に自然は正直だ。
そこを目指して、何をしたら良いかを考える。
そこに向かうのに、何を装着すればいいか考える。
そして、行動していく。
それが人間の世界。
常に足らない。と思うのも人間の世界。
私はいつでも足りない劣等感を感じている。
ちなみに劣があれば優もあるわけで。
周りにいるそこらの人に劣等感を感じはしない。
自分の中にある基準に満たなければ、劣となる。
と言うことはさ
一生劣等感をもって生きると言うことになるわけよ。
向かってるのは頂だからね。
でっ これが、私の好きな人生ゲームなのだと思う。
選択肢は、向き不向きではなく、好きか嫌いか。やりたいか、やりたくないか。
好きなことが、自分に向いているかどうか?はよくわからない。
二胡が好きで、進んでいるけど
私に向いているかどうかは、よくわからないもの。
でもこういうことにトライしていると、もしかしたら勇気や方法をお渡し出来るのではないかとも思っている。
よく半分入っている水を見て
半分も入っている
なのか
半分しか入っていない
という捉え方の話がある
欲しい物なら、どうやって満タンにしようか。
いらない物なら、空にすれば。
とう思考になる自分模様。

FBでよく出てくる、占い?みたいなやつ。たまにやると面白い。
中々確信をついてくる・・
のが不思議。
自分で勝手に当てはめてるだけってのもあるけど
自分が気分良くなるなら、OKだよね。
ブレずに、進んで行きまっしょ♪
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