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音と音の間にある「歌」が届く時 ♯14

  • 執筆者の写真: 郁代 麓
    郁代 麓
  • 2021年9月10日
  • 読了時間: 2分

歌うように楽器を奏でる。

音と音の間にある音、弦楽器なら誰でも出せる。

けど、音と音の間にある「歌」は誰にでも出せるわけではなく、それが奏者の感性や思いになるのだろう。

それがリスナーに届いた時が「歌」になった瞬間なのではないかと思う。

二胡は女性の声に似ていると言われているのだけど、弦が2本しかないため音が弦の上で縦に展開する。弦の上を滑るように上に下に移動する。

音と音の間にある「歌」。

声や思いを表現できるのが弦楽器の素敵なところなんだけど、二胡という楽器は特に得意なのではないかなと思う。


こう歌いたいはあるんだけど、それが曲の中に響いてくるには少し時間がかかる。

出したい歌い方のイメージの音が頭の中で鳴る。

それに近づくにはどうやって弾いたらいいかなと何度も試して、録音する。

リスナーとしての耳になるには、やはり録音することが大切だと思う。


自分の耳で聞く音と、リスナーとして聞く音は全く違うものに聞こえるから


自分の中から溢れるだけになったら、奏者として一人前なのだろうな

しかしながら、道のりはまだまだ遠い様子


その道を走ったり、止まったり、歩いたりしながら 味わっていこうと思う。


徒然草のこんなくだり

「芸事をしようとする人は、「習っていることを人に言わず、上手になってから披露しよう」と言うけれども、こういう人は一芸さえも身につけることができない。

未熟なうちから上手な人たちの中に混じり、笑われてもやり過ごし、正しく、我流に陥らず、稽古を続けていく。

そうやって年数を経れば、周囲にも名人と認められ、その道の第一人者になるものだ。」


笑われてもやり過ごし、正しく、我流に陥らず、稽古を続けていく。


今までの全てに出会いに感謝している。

昨年離れてしまったけど、私の耳に流れるのはやはりウェイウェイ先生の音。

素晴らしい技術の高い奏者は沢山いるんだけど、先生の歌は先生だけの歌になる。



先生ならどうやって奏でるだろう といつも想像している。

そんな時間が愛おしい。



 
 
 

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